この記事の続き。
映画を見て感動して、すぐに読んだ原作小説の感想文です。これも2020年に書いたもの。


アンドレ・アシマン(高岡 香 訳)

とりあえずまず言いたいのは、予想外の小難しさにびっくりした!ということ。
あと、映画よりずっと官能的な雰囲気が濃い。直接的にエロっぽい、って意味でもそうだけど、五感を刺激するような風景と心の描写がとてもきれいで、読んでいてクラクラするような感覚があった。
エリオの語りで物語が進んでいくんだけど、さすが哲学者の息子というか、思索の旅が果てしない。小難しいこと考える17歳だな。エリオから見える世界だけしかわからないから、オリヴァーの気持ちや周囲に二人がどう見えていたかは行間を読むしかないんだけど、映画でのエリオのポーカーフェイスの裏にこんなむやむやモヤモヤムラムラしたものがあったのか、、と衝撃でした。
オリヴァーが今日も食卓に降りてくるか、機嫌がいいか、優しいか、こちらを見てくれるか、話しかけてもいいか、彼の一挙一投足に期待して落胆して振り回されるエリオになって読んでしまうから、そのドキドキに苦しかった。オリヴァーの水着の色で今日の彼の機嫌を占ったりするエリオがもうめちゃくちゃかわいくて愛しい苦しい……。

映画では少年が一夏の恋を経て、大人になっていく、という枠のストーリーだけど、小説は違った。20年後の二人まで描かれていた。一夏じゃなくて、二人の人生丸ごとの物語だった。
しかしローマでの部分、めちゃくちゃ難しかった〜〜〜なんだろうあの読みづらさ、、どこに自分がいるのかよくわからなくなる感じ。

以下好きな部分

大きなパラソルが僕の楽譜の一部を日光から守り、レモネードの氷がグラスにあたって音をたて、そう遠くないところで波が大岩に打ち寄せ、どこか近隣の家からヒット曲のメドレーが雑音混じりのくぐもった音で繰り返し流れてくる。そんな時裏庭の木の丸テーブルで過ごす時間は、時間よ止まれと祈った朝の記憶として脳裏に刻み込まれている。夏が終わりませんように、オリヴァーが行ってしまいませんように、音楽が永遠に繰り返し再生されますように。僕の望みはささやかなものです、これ以上何も願わないと誓います。(42)

美しすぎませんか……この一節。小説は映画よりも得られる情報は少ないはずなのに、五感全てに訴えかけてくるような文章。エリオの切実さが痛いくらいで、本当に好きな部分です。

残り時間が少ないのはわかっていたけれど、それを数えようとはしなかった。目的地はわかっていたけれど、道しるべを読もうとはしなかった。あえて、帰り道のためにパン屑を落とさなかった。落とす代わりに食べた。(218-9)

僕たちは年を取っても、あの若者ふたりのことを話しつづけるんだ。たまたま僕たちと同じ列車に乗り合わせた他人みたいに。僕たちは彼らに見とれ、彼らを励ます。その気持ちは羨望と呼ぼう。後悔と呼んだら胸が張り裂けるから (317-8)

でも思ったんだけど、二人はともに暮らし生涯をともにするパートナーとして結ばれたわけではないけど、互いが互いを絶対に忘れられず、再会した瞬間に17歳と24歳に戻れて、今もあの家で過ごしている幽霊のようなものを互いの心に残せるなら、なんていうかもうこれはハッピーエンドなのでは。精神的にこんなにも強く結びつけたなら、これ以上の絆はないし、これはこの上ない幸福な物語なんだ、という気がした。