He is mine.



 ねぇ、聞いた? 女神様でもだめだったらしいよ。
 そう言って後ろからこっそりと声をかけてきたのは、幼馴染の親友だった。私たちは小学生の頃から高校二年生になったいまに至るまで、毎日一緒に登校をし、部活まで一緒のテニス部に入っている。練習が終わり、コートから飛び出したボールを拾いに行ったところで、彼女が私を追いかけてきて言ったのだ。
「うそ」
「ほんとみたい。見た? さっき女神様泣いてたの」
「……見てなかった」
 彼女が言う女神様とは、同じテニス部の三年生の先輩のことだ。我が高等学校一番の美女で、ただ容姿がうつくしいだけでなく頭も良い。そのうえ非の打ち所がない性格の持ち主の、天使のような女子である。私たちはそんなすべてに恵まれた彼女のことを、「女神様」とこっそり呼んでいた。当然ながら学校中に彼女のファンがいて、全学年・各クラスの少なくとも一割の生徒は、彼女に告白をして断られた経験があるとまで言われている。
「もうこれで確定だね。ぜったいあいつのせいでしょ」
「……ついにあいつ呼ばわりになったか」
 私はそう言って笑い、彼女の言う「あいつ」に目をやった。「あいつ」──エレン・イェーガーくんは、きょうも完璧な容姿で完璧なテニスを披露し、練習が終わるや否や完璧なボディガードとして君臨していた。三年生、リヴァイ先輩のボディーガードとして。
 リヴァイ先輩は、女神様とはまた違った方向性の人気者だった。小柄で、決して派手で目立つような外見をしているわけではないが、ひとつひとつのパーツが整ったひっそりしたきれいさを持つひとだ。私は彼に出会って、男のひとにも「美人」という言葉を使っていいのだということを知った。ぱっと目を引くわけではないが、一度気づくとついつい目で追ってしまうタイプのきれいなひと。静かなのに、その運動神経の良さや頭の良さ、はっきりしたものの言い方のおかげで、常に周囲から一目置かれている。もちろん、私も含めて。
 女神様が一年生の頃から彼に片思いをしているらしいという噂は常々あって、私たちはこれ以上ない理想のカップルが誕生するのを、期待、納得、諦め、その他多くの感情がないまぜになった複雑な気持ちで、祝福する準備をして待っていたのだ。
 今年の春、イェーガーくんが入学してくるまでは。
 彼のことは、入学してくる前から知っていた。中学生の頃からテニスをしていた私と親友は、中学生の大会でたびたび彼とすれ違っていたのだ。当時から彼のテニスの腕は他校でも話題にのぼるほどだったが、それに拍車をかけたのが彼の容姿だった。小さな顔、長い脚、大きな琥珀色の瞳、きりっとした眉毛、通った鼻筋にうすめのくちびる。リヴァイ先輩のうつくしさが静なら、まるで動とでも表現したくなるような、派手でぱっと目を引く外見だった。私の親友は中学生らしく彼の華やかな容姿に憧れていたので、一学年下に彼が入学してきたときには舞い上がっていたものだ。はじめは学校中で話題になり、「王子」とまで呼ばれていた彼だが、いまではいつの間にやら「あいつ」呼ばわりされるまでになっている。
「だってさぁ、あいつ入学してからずっとリヴァイ先輩にべったりだもん! あれじゃほかのひとが入る隙がないよ。しかもリヴァイ先輩以外の人間はどうでもいいって態度だし」
 彼女の言う通りだった。イェーガーくんは入学以前からリヴァイ先輩と知り合いだったようで、彼を追いかけるようにテニス部に入部した。以降、リヴァイ先輩に近づく人間を排除しようとするかのようにぴったりと彼に寄り添い、何をするにも一緒だった。リヴァイ先輩に部活後に差し入れをするのが密かな楽しみだったのに、と女子マネージャーが嘆いていたことも知っている。イェーガーくんはリヴァイ先輩以外の部員にはほんとうに愛想がなく、マネージャーの彼女に対しては一際冷たかった。基本的に感じが悪い。そう言われてもしかたのない態度だ。正直、私も彼のことは苦手だった。
「でも、リヴァイ先輩もいやそうな様子ではないよね」
 部活を終え、帰り道に私がそう言うと、親友は肩をすくめた。
「どうだろ。ほんとうは困ってるんじゃないかな。リヴァイ先輩、やさしいし。あーあ、相手が女神ならリヴァイ先輩に彼女ができても納得できたのにな。彼女の座が空いてるとソワソワしちゃう」
「あんた、イェーガー派だったんじゃないの」
 私が笑ってそう言うと、彼女も「昔の話」と言って笑った。
 

 日が落ちるのが早くなり、暗くなった道を学校までひとり早足で戻ったのはその三十分後のことだった。あす提出の課題が入ったトートバッグを、部室に置いてきてしまったのだ。女子更衣室のなかにそれを見つけた私がほっとして外へ出たとき、すこし先で声がした。
「だから、ちゃんと断っただろう」
「そうだけど、その言い方じゃまだ可能性があるかもって思うかもしれないじゃないですか」
 イェーガーくんとリヴァイ先輩の声だった。飛び上がりそうに驚いて、私はとっさに部室の影に隠れた。やましいことはないはずなのに、ふたりのただならぬ空気に思わず息を潜める。
「リヴァイさんにその気がないのはわかってるけど、オレ、いやなんです……リヴァイさんに近づく奴らがいることが。……リヴァイさんはオレのだって、ちゃんと言いたい」
「……ばか、そんなこと言ったらお前がどういう目で見られるか」
「オレがリヴァイさんに執着してることは誰が見たって明らかなんだから、もういいでしょう」
 あぁ、やっぱりふたりは──そう思い、私は早鐘を打つ心臓を抑えながらも、思わず小さく頷いてイェーガーくんの言葉に同意した。ふたりの関係はともあれ、イェーガーくんの執着はじゅうぶんすぎるほどに伝わっている。
「……リヴァイさんは、いやなんですか。オレとのこと、知られるの……」
 イェーガーくんの声が揺れている。まさか、泣いているのだろうか? 私は驚いて、部室の影からそっと顔を出した。その途端、迂闊な行動を後悔した。こちらに背を向けたイェーガーくんに抱きしめられている先輩と、まっすぐに目が合ってしまったのだ。先輩は声を出さず、目を丸くして動けなくなっている私を見つめた。
「……ちょっと、待て」
 リヴァイ先輩はぽんぽんとイェーガーくんの肩をたたき、腕を引き剥がすと、私の方にやってきた。すみません、そういうつもりではなかったんです、と私が意味不明な弁解をはじめると、彼は「悪い」と私に謝った。
「へ……なにが」
「エレン」
 リヴァイ先輩に呼ばれて顔を上げたイェーガーくんの目には、ほんとうに涙が浮かんでいた。私がそのことにのんびり驚くような暇もなく、リヴァイ先輩はイェーガーくんの襟首をぐいとひっぱる。そうして、あんぐりと口を開けた私の目の前で、ふたりのくちびるが重なったのだった。
 当然私も驚いたけれど、イェーガーくんはそれ以上に驚いたようだった。私たちはふたりして目を見開き、驚きにのけぞって両手で口を押さえた。リヴァイ先輩だけが、かわいらしく頬を染めてもじもじと視線を逸らしている。
「……俺たちは、こういう関係なんだ。別に恥ずかしいから言いたくなかったわけじゃない。エレンがどう思われるか心配だっただけだ。それでお前が泣くほどさみしいってんなら、別に知られたってかまわない」
 リヴァイ先輩は一度言葉を切り、迷ってから、「俺だって言いたい」と小さく付け足した。イェーガーくんが小さく息を吸い込む音がする。それから先輩は私に向き直った。
「犬も食わねぇもんを見せて悪かった。このことは、誰に言ってもらってもかまわない」
「……いえ、そんな、私は……!」
 あわててそう答えながらもなんと言ったらいいのかわからず、私はイェーガーくんを振り返る。そうして私は、信じられないものを見てまた仰天してしまった。彼は先ほど驚いて両手で口を押さえた格好のまま、耳まで真っ赤に染めて今度こそ泣いていたのだ。おそらくは、驚きと感動で。あの、つんとした感じの悪い表情を浮かべているところしか見たことのなかった彼が、真っ赤な顔で泣いている。
「なに泣いてんだ……」
「だって、リヴァイさん……オレ、嬉しくて……!」
 べそべそと彼は泣きながら、一回りも小さいリヴァイ先輩に抱きついた。リヴァイ先輩は大きな犬でも撫でるかのように「よしよし」とイェーガーくんの背中を撫でる。そして、大きな背中越しに私に向かって──今度こそ心底申し訳なさそうに──「悪かったな」と言った。
 

 翌日、イェーガーくんはわざわざ二年の教室までやってきて私を呼び出した。彼もそうなのだろう、きのうのことを思い出し、ふたりして顔を赤くしながら廊下の隅へ向かうと、何も知らないクラスの面々がそれを見てひゅうだのふうだのと囃し立てた。
「きのうは、すみませんでした。……あの、……ありがとうございます。オレ、リヴァイさんがあんな風に思ってたなんて知らなくて……あなたのおかげです。たぶん、あのタイミングで、あなたがいてくれたから」
 きれいな顔が、恋にいっぱいいっぱいな様子で歪む。年相応になった彼の顔を見て、はじめてきゅんと胸がうずいた。きのうはリヴァイ先輩と特別な関係にある彼がうらやましいと思っていたのに、いまでは逆だ。こんな男の子に、まっすぐな恋を向けられているリヴァイ先輩がうらやましかった。
 私は何も言えないまま、彼の言葉にぶんぶんと頷く。彼が心を開き、こんな表情を周囲に見せるようになったことを知ったなら、俺のものだと言いふらしたくなるのは先輩の方かもしれない。    

ヒーイズマイン

ワンドロお題:「部活」(2022/09/13)