十八歳になってから迎えた季節は、すべてが新鮮で、すべてが特別だった。そのなかでもこれは格別だ。
オレはクローゼットのなかから取り出した紙袋を、思わずぎゅうと抱きしめた。吐き出した自分のため息に、熱がこもっているのを感じる。

浴衣を着て近くの河川敷まで歩いて行き、花火と夜店をたのしむことは、リヴァイさんとオレの十年以上続いている夏の恒例行事だ。
遠くから夜店のざわめきが聞こえ、いつもの道で色鮮やかな浴衣に身を包んだひとびとが笑い合うなか、からころと下駄の音を鳴らしながらリヴァイさんと手を繋いで歩いた夏の夕暮れ、子どものオレはこの世界でいちばんの幸せものなのだと確信したのを覚えている。
そんなときリヴァイさんはいつも、「今日は特別だからな」といたずらっぽく笑い、いつもならぜったいにしないようなこと──ふたりでかき氷を食べて舌に色をつけたり、階段に直接座り込んでたこ焼きを食べ、ソースで顔を汚したり──を笑って許してくれた。
リヴァイさんとふたりでこの街に引っ越してきてすぐの頃、家からも歩ける場所に河川敷があり、夏には花火大会があるということを知ってオレたちは喜んだ。子どもの頃からの恒例行事を継続することができたことももちろん、実家から離れた場所で、誰もオレたちのことを知らない場所で、それができることがなによりうれしかったのだ。
予定外の休日出勤をすることになったリヴァイさんからは、すこし前に「もうすぐ帰る」とメッセージが入っていた。オレは紙袋から「それ」を取り出し、気合を入れて広げはじめた。

おかえりなさい、と言って玄関まで迎えに出ると、リヴァイさんは目をまるくしてオレを見つめた。
「……お前、それ」
「先に準備しておきました。どう?」
「……どうって……、着たのか、自分で」
「この歳になっても毎年母親に着付けられてると思ってたんですか。ちゃんと着られますよ。けっこう前から、ひとりで」
リヴァイさんは惚けたように浴衣姿のオレを見つめて黙っていたが、しばらくしてから「悪かったな、ひとりで着られなくて」とぷいと横を向いて言った。
リヴァイさんはオレが子どもの頃から毎年、オレを迎えにきたところで捕まって、「せっかくだから」と言う母親に父親の浴衣を着付けられていたのだ。いつも照れ臭そうに、落ち着かないと言いながら浴衣の襟を合わせていたことを思い出す。
「それで、これ。リヴァイさんの分も」
オレは一度寝室に戻ってから、先ほどの紙袋を持ってきてリヴァイさんに手渡した。
「……どうしたんだ、これ」
「プレゼントです。今年からも、リヴァイさんと一緒に浴衣で花火見たくて」
黙ったまま、まだオレを見つめているリヴァイさんを抱き寄せ、くるりとからだを入れ替えて背中を押した。
「ほら、いいから。リヴァイさん、早く、早く」
もう十八にもなったのに、と自嘲しながらも、花火大会の夕暮れは気が急いてしまうのを止められなかった。色を変えていく夏の空も、通りをゆくひとびとの声も、その特別な夜が過ぎていく一分一秒を惜しませるような魅力に満ちている。今日の一発目は何にするか──チョコバナナにするか、りんごあめにするか──を考えながら、オレはリヴァイさんのシャツのボタンに手をかけた。
「……っ、おい」
「え、……あ、違いますよ。今日はオレが着付けてあげる」
なに考えてるんですか、と言うとリヴァイさんは真っ赤になり、自分からボタンをぷちぷちと外した。
「下も脱いでください。靴下も。……ここ持ってて」
リヴァイさんはスーツを脱いでおとなしく、言われるがままになっている。
「……そう。ほらやっぱり、リヴァイさんこの色似合うと思ってたんです。すっごいかわいい……あ、動かないでください。ここ結びますね」
オレはてきぱきとリヴァイさんのからだに浴衣をまとわせ、膝をついて腰のうしろに手を回した。そのついでに腰に音を立ててキスを落とすと、リヴァイさんは「ばか」と小さく笑う。
「リヴァイさん……腰、ほっそ……」
余った腰紐をしまい込みながら、オレはリヴァイさんのくびれた腰のラインを手のひらで撫でる。女みたいなわかりやすいおうとつがあるわけではないのに、リヴァイさんのきゅっと締まった腰から尻にかけてのゆるやかな曲線は、いつもオレを苦しくさせる。
「……撫でるな……」
「……あとでね」
オレはそう言って、これが十八の醍醐味だと思わず感嘆のため息をもらした。
いままでは──特に、恋人になれたのに「セックスは十八になってから」と約束をした一年前の夏は──地獄だった。愛しくてかわいいひとのこんな色っぽい姿を前に、夜店と花火を楽しんで健全に帰宅しなければならなかった一年前の夏。
それが今年はどうだろう。オレは自分で選び、自分で着付けた浴衣姿の恋人と夏の夜を楽しんだあと、自分の手で脱がせることまでできるのだ。オレはゆるみそうになる頬を堪え、帯をぎゅっと締める。すると小さな吐息が頭の上に降ってきた。
「リヴァイさん、もし苦しかったら……」
そのとき、どん、どん、と花火の開始を告げる音が遠く低く響いた。
「あっ……もう始まっちゃいそう。リヴァイさん、大丈夫そうならそろそろ」
そう言ってオレが下駄を取り出そうとすると、リヴァイさんがオレの背中にぎゅうとしがみついた。黙ったまま。
「……リヴァイさん?」
そういえば着付けているあいだもされるがままで、リヴァイさんはほとんどなにも言わなかったことを思い出す。オレは振り向いて、肩越しに表情の見えない恋人の肩にそっと触れた。
「……もしかして、浴衣着るの嫌だったですか。オレが勝手に……」
「ちがう」
「帯、くるしいですか」
「……そうじゃなくて」
「……リヴァイさん?」
オレの背中に顔を押し付けながら何かをもごもごと言うリヴァイさんの頭を撫でると、彼はようやく顔を上げた。
「なんて顔、してるんですか……」
オレはリヴァイさんの真っ赤に染まった顔を見て、たまらなくなってぐっと力を込め、正面から抱き締める。
ほんとうはすこしだけ、もしかしてと思っていたのだ。腰に手をまわしたとき、そこにわずかながらも確かな熱があるのを感じたから。
「……お前の、浴衣が、……想像以上で、」
「……毎年見てたじゃないですか」
「去年までは、……知らなかったから」
なにを、とは聞かなかった。ふたりとも同じことを考えていたのだ。互いの肌を触れ合わせるとどんなに心地よく、どんなに幸福かということを。それを知ってしまったあと、見慣れたはずの相手のからだがずっとずっと、魅力的に見えてしまうことについて。
「花火、行くのやめましょう」
遠くから聞こえる花火の音が、低く、からだにじんと響く。抱き合ってその音を聞いているだけで、背筋にぞくぞくと官能の痺れが走った。
「……でも、お前、楽しみにしてただろう」
「これからずっと、毎年一緒に行けるので大丈夫です。……それに、オレは結局、これが一番楽しみで」
オレはいましがたきっちりと着付けたばかりの襟のすき間に、するりと手のひらを滑り込ませる。リヴァイさんが小さな声を上げて、もう一度ぎゅっとオレのからだにしがみついた。目を合わせてから照れ臭くなって、オレたちはふたりで笑う。
十八歳、余裕のない恋人同士の二年目の夏、これをいつか懐かしく思い出す日がくるのだろうと思いながら。

十二年目、
二度目の夏

ワンドロお題:「浴衣」(2022/09/02)