金曜日、二十三時。
「私、聞いてみたかったの。そんないい男、どんなセックスするのかなって」
 化粧で真っ黒に縁取られた目を興奮で輝かせ、興味津々といった様子で自分の瞳を覗き込む未知なる種類の相手に、リヴァイは気圧されてからだを後ろに引いた。なぜこんなことを、こんな初対面の相手に話すことになったのだろう。そう思いながらも、こんなチャンスは二度とないこともわかっていた。エレンしか知らない自分に、「それ」を判断できるわけがないのだ。  



A Little Sadistic darling




  「リヴァーイ! 今晩空いてる? 空いてるよね? 今晩あの子……ほら、私の部下なんだけどさ、彼を連れて彼の恋愛相談をしに行くんだよ! 君も行くだろ?」
 金曜日の夕方。休日を前にすこし浮かれた雰囲気の漂いはじめたざわめくオフィスフロアで、一際浮かれた大きな声にリヴァイはびくりと肩を震わせた。
「……なんだ、恋愛相談を『しに行く』ってのは。そして他人の予定を勝手に決めつけるんじゃねえ」
「空いてるでしょ。だってエレン、今週末は実家に帰るって言ってたよ」
「……なんで、お前がそれを知ってるんだ」
「同じオフィスで働いてるんだから当然世間話くらいするだろ。それより、俺の予定イコールエレンだって認めちゃってることに気づきなよ。まず、エレンは関係ないだろ、でしょ」
 呆れた表情で言うハンジに、リヴァイはぐっと言葉を飲み込んだ。
 恋人のエレンは、同じオフィスで働いている大学生アルバイトだ。ふだん働いている部署は違うが、一度彼の部署の仕事を受けた際にアシスタントを頼んだことがきっかけで、ときどき話をするようになった。それ以前から一目惚れをしていたというエレンに押しに押され、気がついたときには彼はいつも隣にいて、恋人というポジションにおさまっていた。リヴァイにとって、はじめての恋人だった。
 エレンは背が高く、大きな琥珀色の瞳ときりっと太い眉が印象的な美貌の持ち主で、それゆえ一見して近寄り難くも見える。そう愛想のいい性格でないことも相まって、オフィスで打ち解けて話す相手は少ないようだ。しかしハンジだけは別で、ふだんからエレンと他愛もない会話をしているようだった。
「エレンがいなくてさみしいだろ。だからさ、恋愛相談、しに行こうよ」
「だからその、『しに行く』ってのはどういうことだ……」
 ハンジによると、オフィス街からそう遠くない場所にあるバーの店主が、SNSで密かに話題を呼んでいるらしい。店主に相談すると、思いもかけない角度からのアドバイスがもらえ、片思いでもマンネリカップルでも婚活でも、恋愛に関することならなんでもうまくいくという噂が立っていると言う。店主の写真を待ち受けにすると恋愛運が上がる、とまで言われているらしい。眉唾ものだよねぇ、とハンジは言って笑った。
「恋愛運ってやつがほんとうにそんなことで上がったり下がったりするものなのか、興味があるんだよ」
「部下をモルモットにするんじゃねぇ」
「うまくいくのならwin-winってやつだろう。ついでにリヴァイも何か相談したらいいよ」
「……別に、俺は間に合ってる……」
「はぁ~っノロけちゃって! じゃあ十九時にエントランス前ね。よろしく!」
 話を聞かないハンジにばしばしと背中を叩かれる。ハンジの言う通り、エレンのいない週末の夜に、ほかに予定はなかった。ご機嫌で去っていくハンジの背中を目で追いながら、リヴァイは考える。
 ──リヴァイも何か相談したらいいよ。
 長年、他人の恋愛のあれそれを聞くことに興味はなかったが、それが自分の身にふりかかってくるとなると話は別だった。三十も半ばになってはじめてできた、年下の恋人。エレンとの日々は、リヴァイにとって未知の連続だった。そうして彼が思ったことは、いままでにももうすこし、他人の恋愛話に耳を傾けてみるべきだったのかもしれないということだった。そうすれば、エレンが自分に施す「はじめてのこと」に、もうすこしスマートに対応できたのかもしれない。一回りも年上なのに、エレンにリードされつづけていることを不甲斐なくも思う。
 たまには勉強だ。そう思い、リヴァイは約束の時間にきちんと仕事を片付けられるよう、自分のデスクへと向き直った。
 
・・・

 やってきたのは間接照明の灯る、こじんまりとしたおしゃれなバーだった。いかにも雑居ビルといった体のビルエントランスからは、想像もできないような空間が広がっている。噂のおかげか、若い女性客のグループが多い印象だ。
「いらっしゃい」
 その声のする方へ顔を向け、リヴァイはぎょっとして目を見張らせた。体格の良い、どう見ても男にしか見えない男が花柄のドレスを身に纏い、長いまつ毛に縁取られた真っ黒な目を細めてにっこりと笑っていたからだ。
「あなたがあけみさんか! 噂のママですね! きょうはよろしくお願いします」
 ハンジが一瞬抱きつくのではないかと思うほどの勢いで両手を広げ、「彼女」の方へと歩み寄った。カウンターの奥にもう二人いる従業員も、どうやら「彼女」と同様、女性の格好をしている男性のように見える。
あけみと呼ばれた店主は、にこにこと感じのいい笑顔でリヴァイたちを奥まったテーブル席へと案内した。金曜日の夜らしく店に空いている席はなかったが、ハンジはしっかりと予約を入れていたらしい。ここは料理やお酒もおいしいらしいんだよ、とハンジはご機嫌でメニューを広げはじめた。
 
・・・

「おにいさん」
 そう呼び止められたのは、用を足してテーブル席に戻る途中のカウンターの前だった。あけみが真っ黒な目をきらきらと光らせながら、片手で「おいでおいで」をするように手を振っている。
「……なにか用か」
「ここのカウンター、さっき空いたから。ちょっとこっちで飲みません? あっちのテーブル席はほら、いまユキちゃんがいて盛り上がってるから」
 リヴァイの座っていた席にはユキと呼ばれたショートカットの店員が、ハンジと一緒に連れてこられた部下と楽しそうに酒を飲みながら話している。彼──その部下は、叶わないと思っていた片思いの相手から、あけみから言われた通りの連絡をしてすぐにデートの誘いがきたと言う。ハンジは目の前で起きた恋の奇跡に大興奮の様子で、次々に部下に指示を出し、ユキと三人でデートの計画を立てている。リヴァイは黙ってカウンター前のスツールに腰をかけ、あけみはグラスに氷を入れはじめた。
「あいつ、あんたの言うことだけ聞いてりゃここからもうまくいくかもしれねぇが……、ハンジのモルモットになっちゃすぐに失敗するんじゃねぇか」
「だいじょうぶよ。彼、魅力的だもの。私はちょっとだけ彼に自信をつけさせてあげただけ」
「……あんた、すごいな。占い師かなにかか」
 あけみはリヴァイの言葉にくすくすと笑い、「いいえ」とだけ答えた。はじめはぎょっとした厚い化粧も、力強い骨格を目立たせる薄いぴらぴらとしたドレス姿も、彼女のやわらかな言葉遣いや落ち着いた所作のせいか、見ていてどこかほっと安心感を抱くものへと印象が変わっていた。低い声のトーンが、いまは心地良くも感じられる。こういう仕事にとても向いているタイプの人間なのだろう。
「私、おにいさんの話も聞いてみたかったの。さっきハンジさんが言ってたでしょう。おにいさんも恋愛真っ最中で、すっごく若い彼氏がいるって」
「彼、……まぁ、そうだな」
「写真もチラッと見せてもらっちゃったけど。ほんとうに、すっごくいい男ね」
「……まぁ、……そうだな」
 あけみはじわじわと顔を赤く染め、小さな声で肯定するリヴァイを見つめ、ふふっとやわらかく笑った。
「私、聞いてみたかったの。そんないい男、どんなセックスするのかなって」
 口にふくんだ酒が喉を通過するちょうどそのときのことで、リヴァイはごほごほと咽せ込んだ。あけみは「あらあら」と声をあげ、カウンター越しに身を乗り出してリヴァイの背中をさすった。
「ごめんなさいね、言うタイミングが悪かったわね」
「……いや、……どんなって、」
「おにいさん、下でしょう? 知りたいのよ、純粋に。最近ひとの話を聞くのだけが楽しみなものだから」
 自分が下のポジションだということもバレている。リヴァイは咽せて涙の浮かんだ目で、あけみを見返した。彼女は真っ黒な瞳をきらきらと輝かせ、こちらに身を乗り出している。彼女の期待を一蹴する気にもなれず、リヴァイはちらりと周囲を見回した。相変わらずハンジたちは盛り上がっているし、カウンター席にはほかに誰もいない。リヴァイははぁ、と小さく息を漏らした。実のところ、リヴァイには聞いてみたいことがあったのだ。誰にも聞けるわけのないことが。
「……この際だから、俺もすこし……聞いてみたいことがある」
「なに? 私、口かたいからだいじょうぶよ」
 リヴァイは言いにくそうに唸り声を漏らし、もう一度ため息をついてから話し出した。
「その、……俺は、あいつしか知らねぇんだ。だから、ふつうとふつうじゃないことの違いがよくわからねぇ」
「ふつうとふつうじゃないこと? ノーマルと、アブノーマルってこと?」
 こくりとリヴァイは頷く。例えば、と目顔であけみは尋ねる。
「例えば……そうだな、……そういうときはふつう、黙ってするもんじゃねぇのか。だけどあいつは……もちろんぺちゃくちゃ関係ないことを話すわけじゃねぇが、……好きだの、かわいいだの……ばかみてぇに繰り返すし、どこがいいか、ここはどうだとか、何してほしいかとか、とにかく色んなことを聞いてくるんだ」
「いいじゃない。自分本位に腰だけ振って勝手にイカれちゃうよりも」
「それはそうかもしれないが、こっちはできるだけ声を出したくねぇのに、……エレンが色々聞くから」
「なるほど、声が漏れちゃうのが恥ずかしいのね。それだけじゃわからないわ、ほかには?」
「……その、エレンのが、入った状態のまま……ずっと動かないで、キスだけを一時間してるとか」
「……へぇえ、よくがまんできるわね」
「あいつも辛そうにしてるのに、俺のがまんがきかなくなるまで待ってるんだ」
「楽しそうじゃない。ほかには?」
「とにかく、どこもかしこも舐める。犬みてぇに」
「あらまぁ」
「どう考えても汚ねぇのに、……汗の味が好きだって、言うんだ」
「……なるほどねぇ。ほかには?」
「キッチンとか、玄関とか、風呂場とか……落ち着かねぇ場所で、やりたがる」
「ふふふ」
「……どう思う。あいつは、変な趣味を持ってるか」
 あまりの恥ずかしさに消え入りそうな声で、リヴァイは俯いて尋ねる。ほとんど酔わないとわかっていながらも、摂取したそれなりの量のアルコールがからだのなかで燃え上がっているような気がした。話しながら、もうとっくに脚のあいだのものはかたくなっている。今夜エレンはいないのに、話していることと同じようにされたくてずきずきと疼いている。エレンの趣味がふつうじゃないのなら、若いうちにどうにかしてやらなければならないと思ってこんなことを相談しているのに、自分がそれにハマってしまったなんて決して認められることじゃない。
 あけみは自分のグラスにも注いでいた液体をきゅっと煽り、リヴァイににっこりと微笑みかけた。だいじょうぶよ、と言うように。
「とってもふつう。ノーマルよ。ただあなたのことが好きで好きでたまらないのね。ほんのちょっぴりサディスティックなところはあるかもしれないけど。ただ問題は、あなたが彼のセックスでイケたか、イケなかったか、そこなのよ。どう? 気持ちいいの?」
 ことばに詰まり、リヴァイはあけみの顔を見上げた。恥ずかしさに汗をかくほどで、顔が熱い。あけみは彼の顔をじっと見つめたあと、ほうと息を吐き出した。
「この表情……言葉よりよっぽど雄弁ね。……ですって、ダーリン。いいわよもう、こっちいらっしゃい」
 リヴァイは驚いてあけみが声をかけた方を振り返る。そこには真っ赤になって、いたたまれないといった表情を浮かべたエレンの姿があった。リヴァイが絶句していると、エレンに気づいたハンジが手を上げて声をかける。
「やぁ、エレン! お迎えご苦労」
「お前……、エレン、……なんでここに……!?」
 ようやく動いた口を震わせながら問うと、エレンは真っ赤な顔のまま後ろ頭を掻き、もじもじと答えた。
「いや、……実家で久しぶりに飯食って、親にも顔見せたし、泊まんねぇでリヴァイさんのとこ帰ろうかなって思いかけてたところで、ちょうどハンジさんから連絡もらって……迎えに来たらって」
「なんで、……」
「扉開けて彼が入ってきて、すぐわかったわ。おにいさんの彼氏だって。おにいさん一生懸命話しはじめてたし、せっかくだから正直なところ聞かせてあげようかなって思って」
 あまりの衝撃と恥ずかしさに、ぱくぱくと口を開けたり閉じたりするリヴァイに向かって、あけみはにっこりと笑う。穏やかだったその笑みに急に艶っぽいものが浮かび、彼女はエレンとリヴァイのふたりだけに聞こえるような小さな声で囁いた。
「このおにいさん、かわいいわね。あなたの写真見て私もこんないい男に抱かれたいって思ってたけど、話聞いてたら逆にあなたがうらやましくなっちゃったわ」
「……な、」
 エレンが驚いて声をあげる。
「こんなんでも、本能みたいなものって残ってるのかしらね。……こんなかわいいひと、抱きたいわ私も」
 エレンはスツールに座っていたリヴァイを抱き上げるようにしてあけみから引き離し、自分のからだに抱き込んで隠した。その様子を見て、あけみは楽しそうにコロコロと笑った。
 

 ご機嫌に酔っ払った部下の男をタクシーに乗せ、「どうだいい仕事しただろう」と得意げなハンジと別れ、終電もなくなった深夜の道を黙ったまま歩いた。何も言わないエレンをちらりと窺う。自分の話は、エレンへの不満のように聞こえただろうか。
「……あの、リヴァイさん」
 突然エレンが立ち止まり、ぎゅうとリヴァイの肩を抱いた。
「あの、オレ、別に変なことしてリヴァイさんを困らせようと思ったことなんて一度もなくて……ただほんとうに、リヴァイさんがかわいくて……たまらなくて、色々」
 すみません、と小さな声でエレンが謝り、リヴァイは慌ててエレンの手を握る。
「違う、すまない……、そういうことではないんだ。ただ、」
「ただ?」
 エレンは曖昧に濁させるつもりはないようだった。リヴァイはエレンのコートの中に入り込むように胸に顔を埋め、小さな声で続ける。
「……ただ、他の奴らも、みんながみんな、こんな風に……お前がするみたいに、甘ったるいセックスをするのかどうか、聞いてみたかっただけなんだ」
 惚気だと言われたら否定できない。恋人同士というものは、こんなに恥ずかしくて幸せで、気持ちのいいセックスをするのが当然なのかどうか、知りたかったのだ。
 途切れ途切れになりながらそう言うと、しばしの間が空いた。エレンは深くため息をつくと、リヴァイを抱きしめたまま、閉店して真っ暗になっている路面店の方へぐいぐいとそのからだを押しやった。ガラスと自分のあいだにリヴァイを閉じ込め、逃げられないようにしておとがいを掬い上げる。
「……じゃあ、きょうリヴァイさんがあのひとに話してたことは、全部『好きなこと』だってことでいいの? されて恥ずかしいけど、気持ちよくて興奮するってこと?」
「っお前、そんな言い方……」
「オレ、リヴァイさんがいやなことはしたくないだけです。ちゃんと言葉にして、教えて」

 ──ただあなたのことが好きで好きでたまらないのね。ほんのちょっぴりサディスティックなところはあるかもしれないけど。

 あけみの言葉が脳裏に蘇る。ぞくぞくとからだに興奮が走り、浮かされたような頭でそっとエレンの手を取った。それをそのまま、熱を持った脚のあいだに押し付けた。エレンのあたたかな手に触れられ、ぐっと重く、下着を張り詰めさせたのがわかる。
「ンっ、」
「リヴァイさ……っ!?」
「こんなだ、」
 どくどくと血液がからだじゅうを巡っているのがわかった。それがエレンを期待して、一箇所に集まろうとしている。
「お前が俺にすること全部、……話して、想像するだけで、こんな風になっちまう。全部……気持ちいい」
 エレンの掌がぴくりと動いて布ごしの刺激を生み、熱い吐息をエレンのコートに吸わせた。親指がしっかりと勃ち上がった先端を探りあて、すりすりと擦る。リヴァイはエレンのコートの襟を握りしめ、いまにも腰砕けになりそうなからだを必死に支えた。
「……リヴァイさん、オレ、家までがまんできない。そこ、入っていいですか」
 エレンの切羽詰まった声に顔をあげ、彼の視線を追うと、ホテル街のネオンサインの光が目に入った。長らく自分には一生縁がないものであり、品がなく安っぽいと思っていた光。それがエレンの大きな瞳に反射して、興奮に濡れて光っているのを見ると一際からだが熱く疼いてたまらなくなった。
「……なんでも、どこでもいい。はやく、」
 そう答えると、エレンはリヴァイを抱えるようにして性急に歩き出し、その頬にちゅっとキスを落として言った。余裕のない、色っぽく掠れた声で。
「きょうはほんのちょっと、……意地悪しちゃうかもしれません」
    

リトル・サディスティック・ダーリン

(2022/11/08)