※お花見にいたリヴァイの同僚たちの裏話
──それでは、場所を変えましょうか。
柔和な印象の男性社員が周囲に声をかける。いい感じに酔いの回った男性たちが「駅前のあの店は」「電話してみましょうか」などと二次会の場所を提案し始める中、私たちはそっと目くばせし合った。
「あの、すみません。私たちはこのあたりで」
「えっ、帰っちゃうの」「残念」と上がった声をかわし、私たちは早々に帰路に着く──ふりをした。念の為、一駅移動してから駅前のファミリーレストランに再集合する。ここは私たちの「いつもの場所」だ。
「皆様、本日は再度お集まりいただきありがとうございます。──理由はお分かりのことと思います」
私が挨拶をすると、皆が神妙な面持ちで頷いた。そのうちの一人が厳かな態度で挙手をする。どうぞ、と目で示すと、彼女はゴソゴソとバッグの中からタブレット端末を取り出した。
「わたくし、本日の花見の会で写真撮影を担当しておりました。先ほど撮影したデータを全てこちらに移しました。ご査収ください」
彼女がうやうやしく差し出したタブレット端末の画面には、一枚の写真が大きく映し出されている。途端、その場にいたメンバー全員がガタガタと音を立て、一人はテーブルに突っ伏し、一人はソファに倒れ込んだ。
「──ッッッ」
「……ねぇ、先輩! こんな子、……こんな子、いますか? 普通に生きてて日常でこんな子に会えますか? 会えていいんですか?」
「無理。つらい」
「先輩……」
その画面に表示されていた「こんな子」。今日の花見に飛び入り参加した、上司のアッカーマンさんの親戚の男の子──エレン・イェーガーくんだった。私はタブレット端末をテーブルの中央に配置し、ごほんと咳払いをした。
「今日わざわざ集まってもらったのは、我々の中で彼の存在をどのように解釈し、心のうちに落とし込むかを検討するためです」
仲間たちの目はタブレット端末へと吸い寄せられている。
「めっちゃかっこいい……信じられない……」
「とりあえず写真全部チェックしましょう」
私たちは入社年度の違う三人組のグループで、社内ではそれぞれが先輩後輩の関係にあたる。一人は部署も違う。それでも私たちがこうやって、定期的に学生のように集まっておしゃべりをするのは、共通、そして内緒の趣味があるからだ。お酒なんて、私たちにはあってもなくても関係ない。長居のできるファミリーレストランが最高だ。大好きなのはおしゃべりと情報収集。そして──
「本当に、信じられない」
一人がため息まじりに言った。
臆せず言おう。私たちはイケメンが好きだ。私自身は十代の頃からの筋金入りのアイドルオタクである。学生の頃はありあまる時間をすべて推しに捧げていたわかりやすいオタクだったが、社会人になってからは人目につくような活動を控えめにし、「ちょっとしたアイドルファン」程度の認識で社内では通っている。テレビに出れば見るし、公式SNSはちょこちょこチェックしてます。その程度のファンとして擬態している。
そんな中で「仲間」を見出したきっかけは単純なことで、隣に座っている後輩のスマートフォンのロック画面が偶然目に入ったことだった。彼女がポンと置いて光った画面に、私の推しアイドルグループの一人がでかでかと表示されていたのだ。
「もしかして、そのグループ、好き?」
もしかしても何もない、と思いながらもそう問いかけたのが始まりで、私たちは親しくなった。同じ趣味の仲間である、彼女の大学の先輩だという別部署の先輩とも繋がり、以来私たちはこうやって時々集まり、楽しく情報交換をしたり上映会をしたり、時には現場に足を運んだりもしている。しかし、こうして親しくなったのは、ただ同じアイドルグループのファンだということだけではない。私たちのもう一つの共通の趣味は──
「ねぇ先輩。信じられます? こんな子が、アッカーマンさんの親戚なんて」
私たちの共通の趣味。
リヴァイ・アッカーマンさん。
私たちは、アッカーマンさんを社内一の〈いい男〉として密かに認定している。いや、社内一どころではない、一般人男性界一だ。
リヴァイ・アッカーマンさん。名前すらきれいで感動してしまう。すっと伸びた背筋、切長の青灰色の目、清潔に刈り上げられたうなじ、低くて甘い声。めったに笑わず、いつも淡々と仕事をこなしている。近寄り難くて怖い人だと思っていたその人の、初めて見せた笑顔はあっさりと私のハートを貫いた。その日のやりとりを思い出すと、今でも私は悶絶しそうに萌えてしまう。
それは入社してしばらく経った頃のことだ。彼が珍しく私の席まで来て、「ちょっといいか」と声をかけた。愛想のない彼を恐れていた私は、弾かれたように立ち上がる。私の反応にすこし驚いたような様子を見せた彼は、「これについてだが」と私が作成した書類を指差して言った。
「各武将。──戦国時代になってるぞ」
──各部署。
私はその指が示す先に目をやり、血の気が引いていくのを感じた。あまりにもくだらない誤字。さっと目を走らせただけでも、同じ誤字が書類上にいくつも散らばっている。叱られる、と反射的に身をすくめた私に、上からふふっと柔らかな笑い声が降ってきた。
まさか。誰の笑い声?
慌てて目を上げると、アッカーマンさんの目がいたずらっぽく光った。
「内容については問題ない。修正願い賜う」
アッカーマンさんはからかうように言って、そのまま書類を置いて行った。声だけでなく、ほんのりと目と口にも微笑が浮かんでいた。私は呆然とその背中を見送る。今のは本当にアッカーマンさんだったのだろうか?
その日以降、私はアッカーマンさんをこっそりと目で追い続けた。オタクの性で、情報収集・観察は息をするようにできてしまう。
彼は最初の印象ほど怖い人ではなく、ただすこし表情が乏しいだけの人だった。一度そのやさしさに気づくと、彼はただ愛想がいいだけの人間よりもずっとやさしく、面倒見が良かった。時折口から出るユーモアのあるひと言もたまらなかった。笑っていいのか悪いのか、どうにもわかりづらいことが多かったが。
よく見ると──怖くてよく見ることもできなかったのだ──端正な顔立ちをしているし、小柄だがスタイルはとても良い。その人柄や容貌の良さに気づくと、なぜ彼のことを他の女性社員が話題にしていなかったのかを疑問に思うほど、魅力的な男性だった。彼は指輪をしていない。結婚しているという話は聞かないし、彼に女性の影を感じるようなことも特にない。持ち物はいつだってシンプルで生活感がなく、誰かと暮らしているような様子もない。
──どうか誰も気づかないでください、彼の魅力に。
私はずっとそう思っていた。彼をひっそりと眺めていたい。その想いが単調な日々を潤した。彼に会えると嬉しい。話せるともっと嬉しい。もちろん、初めはこの気持ちは恋なのだろうと思っていた。
「でも違うの。やっぱり〈推し〉なの」
私は仲間たちにアッカーマンさんへの好意をカミングアウトしたとき、そう言った。意外なことに彼女たちは私の気持ちに全面同意し、多分、と一人が続けた。
「多分、アッカーマンさんのファン、社内にめちゃくちゃ多いと思います。例えばですけど、あの人が社員食堂で一人で食べてること、ないですもん。私遠くから観察する派なんですけど、アッカーマンさんが座った瞬間、いつもさっと誰かが来て、すぐ目の前の席に座ります。男も女も」
「そういえばこの前、部署の先輩と上のコンビニでたまたま合って一緒に差し入れ買ったとき、先輩アッカーマンさんの分だけ私が渡すって持って行ったな。あれ不自然だった」
──そうだったのか。
「でもアッカーマンさんについて、他の人が話してるのあんまり聞いたことないよ」
「……それ、私も思うけど。多分みんな、アッカーマンさんの魅力をバラしたくないんだと思う」
先輩が続け、私はハッとする。
「みんな、自分だけが知ってるアッカーマンさんの素敵なところ、って思いながら隠れファンしてるんだと思う。今は目立ってないように見えるから、変に騒いで他の人に狙われたくないんだよ。近くにいないと仕事はできるけど怖くてとっつきにくい人、って感じだし」
──わかる。めちゃくちゃわかる。
「でも、恋じゃないんだよね」
私がそう言うと、それにも二人はぶんぶんと頷いた。
「どうしても、あの人の隣に自分が立って、一緒に笑って話したりどこかへ出かけたり、一緒に生活したりする画が思い浮かばないの。恐れ多くてできないのもあるし、むしろそれをしたくない、自分の存在は邪魔なんだよね。でもアッカーマンさんの恋人に向ける表情は見てみたい。でもそれを正面で受け取りたいわけじゃないの。ただ見てたいの、側から」
「わかるわかるわかる……。あのドル誌でよくあるデート目線グラビアとか見たいですよね。デートプランインタビュー受けてほしい」
「an・anのグラビア見たい……SEX特集のやつ」
「いきなりやめてください、鼻血出る」
急に生々しい想像が浮かんだ。彼も、恋人とそういうことをするのだろうか。スーツの上からだとすっきりと痩せた体型に見えるが、男性社員がアッカーマンさんに筋トレ指南を仰いでいる場面を目にしたことがある。どうしたらそんなイイ身体になれるんですか、と聞かれていて、こっそり聞き耳を立てていた私はつい想像を膨らませてしまった。そんな彼につり合う女性なんて、いるのだろうか。
「それ、羨ましいけど──絶対無理」
揃って頷いた。つまりそういうことだ。みんな、彼とすこしでもいいから関わりたいし見つめていたい。でもその隣に並ぶ自信はないし、恋人になんて恐れ多くて考えられない。でも、彼のことをもっと知りたい、そして誰か一人のものになってほしくない。
「まぁ社内にはガチ恋の人もいるでしょうけどね」
「アッカーマンさん、彼女いるのかな……」
「私生活がよくわからないのも魅力なんですよね」
「会社に近いって言ってたよね? お家」
「一人暮らしなのかな……自炊はするらしいです。この前、レシピの話してたらそれ教えてくれって言われました」
「なにそれかわい……っ、なんのレシピ? 私も作る」
「総務に誰かいないの? 同期」
「それはやっちゃダメなんじゃないですかね……」
*
その謎が今日、あっさりと解けたのだ。
「あ、オレ、リヴァイさんと一緒に住んでるんです」
あまりにも衝撃的な発言に、私たちの呼吸も時間も止まった。私服のアッカーマンさんの衝撃も処理できていないというのに、新たな爆弾。
そもそも彼の存在そのものが、私たちの情報処理キャパシティを遥かに超えていたのだ。イケメンなんて、見慣れているはずだった。ついこの前も、コンサート最前列で推しに会ってきたばかりだ。そのときと大して変わらない距離感で相見えているこの青年は、一人──アッカーマンさんを除いて──別次元にいるかのように、輪郭線が濃く見える。彼が動くたびに細かい光の粒が弾けるように、キラキラと眩しい。こんな男の子、今まで会ったことなかった。舞い散る花びらまで、彼のために存在しているエフェクトのようだった。
「えっ一緒に住んでるの?」
何も言えないままの私たちに反して、驚いて聞き返す同僚に感謝の念を送ると、エレンくんは朗らかに笑った。こんな美貌で、こんな素直な笑い方をするなんて。初めて見たとき、私たちにツンと尖った視線を投げたように思えたのは、見間違いだったのだろうか。
「はい、今年の春から。オレ、すぐそこの大学に入学したんです。小さい頃からリヴァイさんと仲が良くて、それで一緒に住まわせてもらうことになって」
「小さい頃から……」
隣に座っていた後輩がぽつりと声を出す。そうだ、親戚なら、いろいろなアッカーマンさんの姿を知っているのだろう。彼が小さい頃と言うなら、きっとアッカーマンさんは二〇代だ。今でも十分に若い彼がどんな青年だったのか気になるし、エレンくんがどんなにかわいらしい子どもだったのかも気になる。彼は私たちの反応に一瞬怪訝な顔をしたが、すぐにまた朗らかに答えた。
「ええ。リヴァイさんが大学生の頃からかな。毎週末泊りに行ってて」
「大学生……!?」
「毎週末……!?」
つい二人で声を合わせ、食い気味に訪ねてしまう。大学生のアッカーマンさん。毎週末のお泊まり。どちらももっと詳しく聞かせてほしい。
そのとき後ろから、「小さいときはよかったな」と低い声がした。別の社員と話していたアッカーマンさんが、話題を聞いて口を挟んだのだ。慌てて身をひいて場所を譲ると、彼は悪いな、と小さな声で言って、そのまま自然にエレンくんの隣に移動した。私が譲った場所よりも、ずっとエレンくんに近い場所に。彼らはほとんど身体の側面がくっついているように見える。
「こいつ、中学生になっても一緒に寝るって言って聞かねぇんだ。あの頃は大変だった」
「身長もニョキニョキ伸び始めた頃ですもんね。あの頃は確かに寝にくかった」
「中学生……?」
思わずまた口に出してしまう。男子中学生が? 親戚のお兄さんの家に泊まりに行って、一緒に眠る?
「焼き鳥ありますよ~」
食べ物を配ってまわる女性社員が大皿を持って現れ、話は中断された。皆が自分の皿に焼き鳥を取り、ついでにと飲み物を補充する中、私も不自然でないよう努めながらも彼らの会話に耳をそばだてる。おそらく仲間たちもそうなのだろう、ガサガサと場を整えながら、目だけは妙に真剣な色を帯びている。
さっきの続き、聞かせてください。
「ねぎまか」
「あ、これ一本だけ残ってて、もらっちゃった。ひと口食べますか?」
「ん」
ねぎま、好きなのか。心のアッカーマンさんメモに記入しながら目を上げて、そのまま隣に座る後輩の腕を強く握った。「えっ」と声を上げた彼女が同じように目線を上げ、絶句した気配がした。
アッカーマンさんが、エレンくんの差し出した串の先から直接「ひと口」食べている。「ほら、ネギも」と言われ、さらにもうひと口。
「うまい」
「よかった」
二人は見つめ合って笑っている。ザワザワとした空間の中で、今のやりとりを見ていたものが私たち以外にいたのかはわからない。今この瞬間、二人は二人だけの世界にいた。
「エレンくん。オレ、エレンくんと同じ大学で同じ学部」
私たちがぼうっと彼らを見つめている中、元気な声の同僚が輪の中に入ってきて、魔法のようにやさしい空間の雰囲気は散ってしまった。私たちはエレンくんとアッカーマンさんの生活に関する話を聞くチャンスを失い、アッカーマンさんの周りにも「真剣な仕事の話」をしたがる男たちが集まってきてしまう。私たちは自然に隅へと集まった。
「今日、久しぶりに、集まりますか」
先輩の一言に、黙って頷き合う。これは要相談案件だ。
「私、写真係やってきます」
後輩が席を立つ。「任せてください」と去って行く彼女の背中が頼もしかった。
*
「本当にかっこよかった。アッカーマンさんとエレンくんが並んでるところ、夢みたいだった……」
「そもそもこの顔の良さなんなんだろう。若手俳優とかアイドルとか、そう言うのと別次元の雰囲気あったよね。あのちょっと長い髪、アンニュイでよかった……」
「ずっと座ってたから、立ったときびっくりした。スタイル良すぎて」
「本当にエレンくん、王子様みたいでしたよね。顔もスタイルも王子だけど、仕草が」
「そうそう。アッカーマンさんに対して本当にやさしかった。見た? あの上着を背中にかける仕草。花とゆめだった」
「アッカーマンさんが男たちに囲まれちゃった後も、うちの同期の相手しながらさりげなくアッカーマンさんの飲み物とか入れてあげてたの気づいてた? アッカーマンさんにお酌する隙なかったもん」
「見てました見てました。ていうか、」
そこまで言って、彼女は言葉を切る。
「……っていうか、二人、背中がずっとくっついてましたよね……?」
──やっぱり。
自然に引き離されたかたちになったあと、二人は互いに背中を向ける形で座っていたが、その距離が妙に近かったのだ。
エレンくんはアッカーマンさんの様子をずっと気にしていて、時折脇腹をつついて何ごとかを囁いていた。振り返ったアッカーマンさんがその指にちょんと触れ、何かを答えて小さく笑う。二人だけの会話。
仲の良い親戚のお兄さんと男の子だと思えば、別におかしいわけじゃない、と思う。ただ、二人のあの密やかな雰囲気を思い出すと、なぜか息が止まりそうなほどドキドキした。エレンくんと話しているとき、アッカーマンさんの表情はいつもよりずっと柔らかかった。どこか、幼く見えるような気すらした。一回りも年下なのに、彼が一緒にいるということで、気を緩めて安心しているような。思い出すと胸がときめきで痛くなる。
「私、思ったことがあります」
挙手をしてから、改めて私は言う。
「今日の二人を見ているとき、思いました。これが理想だって」
エレンくんと一緒にいるアッカーマンさんを見ていたい。エレンくんに向けるアッカーマンさんの表情をもっと見たい。自分の気持ちは恋じゃないとは思いつつ、アッカーマンさんの彼女が現れたら、心が痛んでどうなってしまうかわからない。
「アッカーマンさんのあのやさしい表情が向けられる先が、あのかわいいかっこいいエレンくんだなんて、最高じゃないですか……?」
アッカーマンさんとエレンくん、自分がどちらをより強く推したいのかよくわからなかった。二人まとめて推させてほしい。他の女子社員たちは、わかりやすくエレンくんに夢中になっていた。このままだと社内ファンクラブができてしまいそうだ。二人は私の言葉に力強く頷いてくれた。心が通じ合っている。
「先輩。これ、とっておきです」
後輩がタブレット端末を操作して、一枚の写真を表示させた。そこには、満開の花の下、一足先に帰っていく二人の後ろ姿が写っている。横顔のエレンくんがアッカーマンさんをやさしい表情で見つめ、触れるか触れないかの角度で、手がアッカーマンさんの背中に添えられていた。
「──私、応援します。この二人をセットで」
私の言葉に二人は黙って手を差し出し、握り合い、ひっそりとここに新たなファンクラブが誕生した。
「現場の確保が、大変そうですね」
「来年もお花見、絶対来てもらおう。社内イベントもっと企画しよう」
かくして私たちは、このうららかな春の日に、長年推してきたアイドルから、上司とその親戚の男の子に推し変をしたのだった。
このうららかな春の日に