「この道、こんなにきれいだとは思わなかったな……」
「そうですね」
 並んで頭上の桜を眺めながら、エレンとリヴァイは踏切を越えた駅の反対側にある大きな公園を目指して歩く。小さく口を開けながら頭上ばかりを見て歩くリヴァイに頬を緩めながら、エレンはほんのすこしだけふたりの距離を縮め、彼がまっすぐに歩けるよう誘導した。リヴァイはそれに気づいているようで、安心して無防備に上を眺めたまま歩いている。
 家から駅へ向かう途中の並木道は、エレンが予想した通りの満開だった。そこここで人々が写真を撮ったり、頭上を見上げながら笑い合っている。ふたりはエレンが先日見つけたという小さな弁当屋に寄り、一種類しかない「今日のお弁当」を買った。ここのおかずは何を食べてもおいしいのだ、とエレンは言う。
「何回かここで買ってひとりで食ったんです。リヴァイさんの帰りが遅い時とか、昼飯とか」
「この前は、さっそくひとりにして悪かったな」
「全然。この辺りの店開拓できるの楽しいし……、あ」
 エレンは通りかかったコンビニの前で足を止めて言った。
「リヴァイさん、……たまにはお酒でも買います?」
「お前……未成年だろうが」
「そうじゃなくて、リヴァイさんの分」
 愕然とした顔をしてこちらを見るリヴァイを笑いながら、エレンは答える。リヴァイはすこし考えてから、「お前が飲めないんだから、いい」と答えた。
「気にしなくていいのに」
「そういうことじゃない」
 また並んで歩き出しながら、エレンは「リヴァイさんがお酒飲むとこ、見てみたいな」と呟くように言う。
「お前が二十歳になったら一緒にな」
「また年齢制限かぁ」
 あーあ、とエレンが大袈裟にため息をつくと、リヴァイは楽しそうに笑った。 「言っておくが、俺はそれなりに酒には強い」
「……それはなんとなく、わかってますけど」
 酔っ払って素直になるリヴァイさん、かわいいだろうな。独り言のようにエレンが言うと、意外にもリヴァイは驚いた顔をし、次いで顔を赤く染めた。
「……素直じゃなくて、悪かったな」
「えっ! そういう意味じゃなくて」
 慌ててエレンが顔を覗き込むと、リヴァイは拗ねたような目で彼を見返した。その目にかすかに自分への甘えのようなものが見えて、エレンは思わずふにゃりと笑ってしまう。オレの気持ちなんて、わかっているくせに。わかっていて拗ねた振りをするリヴァイが心底かわいくて、エレンはリヴァイにやさしく身体をぶつけてみる。彼にもその気持ちは伝わったようで、ふっと息を吐くように笑った。ふたり分の弁当、リヴァイが大きな水筒に入れたあたたかい紅茶、大人ふたりが座るのに十分な大きさのレジャーシート。これから過ごす楽しい時間のための幸せな荷物は、今に限っては邪魔だった。両手が塞がってしまっていて、リヴァイの手を握れなかったからだ。きっと両手が空いていたとしても、リヴァイは真っ赤な顔で「人前はやめろ」と言うに違いなかったが。
 春の陽射しはぼんやりとあたたかく、なんとなく霞がかったような空の薄い青と、ピンクのコントラストは目にやさしかった。エレンはじんわりと幸せで、その気持ちを共有するようにリヴァイを見る。目が合って、ふたりは黙ったまま笑い合った。


 駅の反対側にある大きな公園は、桜の見頃ということもありそれなりに混み合っていた。以前ふたりで歩いた頃とは違う様子に驚きながら、団体の花見客や家族連れの間を縫って歩き、比較的人の少ない芝生の場所を見つけてレジャーシートを敷く。座って弁当を並べ始めたところで、後ろから声をかけられた。
「イェーガーくん!」
 エレンが驚いて振り向くと、前日オリエンテーションで知り合ったばかりの同じ学科の生徒たちが数人、こちらに向かって手を振りながら歩いてくるのが見えた。太陽の光がキラキラと彼女たちのアクセサリーに反射し、華やかな色彩が塊になってやってくるように見えた。
「すっごい、偶然! 向こうに何人かでいるんだよ、うちらもお花見!」
「イェーガーくんも誘いたかったんだよ、でも昨日連絡先聞く前に帰っちゃったからさ」
「一緒にお花見しようよ、色々買ってきたんだよ」
 代わる代わる喋る女子たちに気圧されてエレンが黙っていると、そのうちの一人が初めて気が付いたかのようにリヴァイを見て言った。
「あれ、……どなた? お兄さん?」
「親戚だ」
 エレンが口を開く前にリヴァイがそう返すと、女子たちはふぅんと納得したような顔をし、その顔を見合わせる。
「私たち、あっちのエリアにいるの」
「また後で声かけにくるね、合流してね!」
 連絡先教えて、と言う女子に「また今度」とだけなんとか返すと、手を振って団体の方に戻っていく彼女たちを見ながらエレンは盛大にため息をついた。
「すみません、本当に……」
 リヴァイはそんなエレンを見て、「さっそくモテてそうだな」と楽しそうに笑って言った。
「もうオレ既に大学の交友関係メゲそう……」
 エレンは否定することなくそう答え、リヴァイはまた笑う。リヴァイはすこし前、エレンが制服のボタンをすべて奪われた姿で帰ってきた卒業式の日のことを思い出す。きっとエレンは大学で、高校の時よりもずっとモテるようになるだろう。どんどん精悍になっていく恋人をちらりと眺め、リヴァイは誇らしさと微かな嫉妬が内混ぜになった複雑な気持ちになる。改めて弁当を広げ、お茶を入れたところで今度はリヴァイが小さく声をあげた。
「……あ?」
「え?」
 その視線を追ってエレンが振り向くと、リヴァイの前方からやってくる集団の一人が彼らの視線に気づいて声をあげた。
「あれ……アッカーマンさん?」
 リヴァイに気づいた面々がぺこぺことお辞儀をしながら、それでも嬉しそうに集まってくる。
「あ、本当だ! 似てるな、もしかしてって思ったけど」
「わ〜休日のアッカーマンさん、新鮮です……!」
「オレたち同期で花見をする予定で……あ、弟さん? ですか?」
 リヴァイはエレンに向かって「部下だ」と短く言い、それを受けてエレンは彼らに向かって「親戚です」と先ほどのリヴァイと同じように答える。互いにそうしようと決めていたわけではないが、そうした方が良いのだととっさに感じたのだ。彼らはエレンににこやかに挨拶をし、「仲良しでいいですね」などと声をかける。
「アッカーマンさん、もしよかったらご一緒しませんか。オレたち、すごいたくさん買い込んできちゃって」
 男の言葉を受けて、リヴァイはエレンをちらりと見る。エレンは黙って頷いた。
「……邪魔にならないか」
「邪魔なんてそんな! 嬉しいです、オレ前からアッカーマンさんと話してみたくて」 「おいしいものいっぱい買ってきたんですよ」
 女子社員がエレンに向かってにこにこと声をかけ、エレンはぺこりと頭を下げる。リヴァイの同僚たち。エレンが彼らに会うのは初めてのことだった。リヴァイは大きなレジャーシートを広げ始める彼らと楽しそうに話している。エレンは彼らを観察しながら、彼が寡黙で仕事のよくできるというグンタだろうか、きっと彼女が気の利くペトラだろう、などとリヴァイの話を思い出しながら推測する。
「乾杯しましょ、乾杯! アッカーマンさん、ビールでいいですか?」
「……ああ」
 ちらりと心配そうにこちらを見たリヴァイと視線が合い、エレンは口もとだけで小さく笑って見せた。「ソフトドリンクもあるよ」と声をかけられ、親切な男にエレンはコーラを注いでもらう。エレンは彼らの持つ透明なプラスチックカップになみなみと注がれた金色の液体と、自分の手にある炭酸飲料をぼんやりと見比べる。くだらない、と思いつつもほんのすこし癪だった。待ち望んでようやく迎えた18という年齢は、彼らにとってはまだまだコーラの似合う、ただの子どもなのだ。彼らは自分たちの上司とこの若い男が恋人同士の関係にあるなんてこと、一瞬たりとも考えなかっただろう。自分たちが恋人同士のデートを邪魔しているだなんて。


「イェーガーくん!」
「すごい、大所帯だねぇ」
 先ほどやってきた女子たちに男子生徒も数人混じり、再びエレンを誘いにやってきた時、彼らの言う通り、エレンの周りにはリヴァイの同僚たちが集まってそれなりの大所帯となっていた。リヴァイと話してみたかった、という男が移動してきてからリヴァイの周りに「真剣な仕事の話」をする者たちが集まり始め、エレンはリヴァイからそっと離れた。別に子どものように拗ねるつもりもなく、むしろエレンは部下から信頼を置かれるリヴァイの顔を初めて見ることができて新鮮な喜びも感じていたが、そろそろ寂しいと素直に思い始めた頃のことだった。
「オレたち、これから駅前のボーリングに移動するけどお前も来ないか」
 そうエレンに声をかけたのは、前日のオリエンテーションでエレンの隣に座っていた男子生徒だった。ずっとここにいても仕方ないしな。そう思ってリヴァイの方を見ると、「行ってこい」と言うように顎で促した。
「じゃあ、行くか」
「やったぁ!」
 きゃあきゃあと黄色い声をあげる女子たちに引っ張られた途端、エレンは急に寂しくなってリヴァイを振り返る。リヴァイの同僚はやさしかったし、リヴァイの職場の顔はかっこよかった。それは確かだったが、エレンは内心でため息をつく。でもオレだけのリヴァイさん、休日のやさしくて甘やかなリヴァイさんを半日見そびれてしまった。真剣な眼差しの部下たちに囲まれるリヴァイを見ていると、その存在があまりに遠く感じられた。
 ──あ。
 最後にもう一度振り返った時、リヴァイは部下の一人に日本酒を注がれていた。本当にすごい量の食べ物や酒を持ってきてたんだな、あの人たち。エレンは呆れ半分感心半分で、リヴァイを見つめることを諦める。リヴァイさん、酔っ払っちゃったりしないだろうか。急にそのことが心配になってくる。あの気のいい人たちがリヴァイに何かするなんて思うわけではないが、子どもじみた嫉妬が自分の心に芽生えたのがわかった。
「イェーガーくん、大丈夫?」
 横にいた女子が、エレンのため息を聞きつけて声をかけてきたので、「大丈夫」と短く返す。オレの前ではお酒、飲んでくれねぇのにな。リヴァイが自分を子ども扱いしているわけじゃないことはわかっている。それでもその思いはちくちくとエレンの胸を刺した