週末の駅前は、もうすぐ日付を超える時間だというのに人々が行き交っている。エレンは足早にその中を抜け、街灯の少ない公園を突っ切って家路を急ぐ。思ったより遅くなってしまった。舌打ちをしたい気持ちになり、一次会の終わりで帰ろうとした自分の腕を引っ張って、二次会へと連れて行った女子のことを思い出す。すでにもう顔は曖昧だった。
 今日は先日入学したばかりの大学のオリエンテーションがあり、その後学科公認の学生懇親会が開かれたのだ。それには参加しないつもりでいたエレンだったが、リヴァイにそう伝えるとせめて一次会には顔を出すように説得された。人間関係ははじめが肝心だ。大学の友人関係は意外と長続きするぞ──そう諭され、その素っ気ない物言いや乏しい表情からは意外に思えるが、リヴァイが対人関係を大切にするタイプの人間であることを思い出す。彼自身、大学時代の友人たちとは今でも連絡を取り合っている様子が伺えるし、職場の同僚からも、しょっちゅう退勤後の誘いを受けている。一見わかりにくい、リヴァイの真面目で不器用なやさしさを、周囲の人々は十分に理解しているようだった。
 ──オレはもっと、リヴァイさんのいろんな表情知ってるけどな。
 夜道を歩きながらそう考えて、エレンはほうと満足のため息を吐き出す。リヴァイと初めて身体を繋げてから、一週間と少しが経った。実際のところ、エレンはリヴァイの交友関係についてはまだまだよくわかっていないことが多い。よく聞く友人やよく飲みに行く部下の名前は知っているが、会ったことはなかった。彼らに無意識に嫉妬心を抱くことは今でも少なくないが、一週間前からその点において、エレンは妙な優越感と自信を感じてしまうのだった。つまり、リヴァイがあんな姿を見せるのは自分だけなのだ、ということに。
 エレンは18歳になり、子どもの頃は一緒に風呂へも入ったし、何度も折に触れて見たことのあった彼の裸体に、初めて違う目的を持って触れた。リヴァイのことが好きだと気づいてからは着替えさえまともに見ることができず、恋人同士になってからも、洋服越しに触れるだけだったその身体は、想像していたよりずっと甘やかだった。リヴァイは舌足らずな声で何度もエレンの名前を呼び、いやだ、だめだ、とうわ言のように繰り返し、身体を擦り付けるようにしがみ付いて、何度も身体を震わせた。思い出して、エレンは心臓がどきどきと脈打ち始めるのを感じる。今夜は週末だ。きっと今夜は──そう考えて、エレンはますます自分の歩く速度が上がってしまうことに内心で呆れてしまう。今日は遅くなる、先に寝ていてくれと連絡を入れたのは自分なのに、きっとリヴァイは待っていてくれるだろうと期待をしながら。
 公園を抜けた先には桜並木が続いている。エレンは頭上のぼんやりと明るく見える白っぽい花々を見上げて、家路に満開の桜並木があることの素晴らしさを思う。リヴァイとふたりで住む部屋を決めた時には、花のない樹々が桜であることに気づかず──ふたりとも草木には疎いのだ──、ある日引越しのための買い物を終えて帰ってきた時にふと、道に沿って植えられた樹々の枝にちんまりと、薄ピンクのつぼみがついていることに気づいたのだった。
「桜、いいな」
 その時、リヴァイはそう言って小さく笑った。本当に何のことはない感想だったが、エレンはその言葉にじんわりと幸福を覚えたことを思い出す。ふたりが初めて一緒に暮らす部屋。この並木道もいつか、このはじまりの部屋の記憶に強く絡んで思い出すことになるんだろう。満開の桜を見上げながら、今週末はふたりで花見をしようと思い立つ。来週末にはきっと散ってしまうだろう。


 できるだけ静かに鍵を回して帰宅すると、部屋の中はキッチンの小さな灯りだけを残して消灯していた。寝室から声はかからない。リヴァイはもう寝てしまっているようだった。エレンがキッチンを見回すと、きちんと片付けられた調理台の上にラップのかけられたおにぎりが二つ、皿に乗せて置いてあるのを見つけた。きっと懇親会なんてまともに食事がとれないだろうと考えて、リヴァイが自分のために用意してくれたものだろう。エレンはありがたくそのおにぎりを頬張りながら、時計を見上げる。午前0時20分。リヴァイの就寝は、週末の彼にしては少し早いような気がした。


 シャワーを浴びて寝る準備を済ませ、そっと寝室の扉を開ける。
「リヴァイさん」
 小さな声で呼びかけてみるも、やはり反応はなかった。
「……寝ちゃったよね」
 掛け布団を持ち上げ、するりと膨らみの隣に身体を滑り込ませて、自分に背を向けて眠っているリヴァイの背中にそっと身体を沿わせてみる。後頭部にちゅ、とキスをしてから身体を離した。
 愛しい人と身体を重ねる気持ちよさ、幸せを知ったばかりの18歳には、つらい夜だった。せっかく週末なのに。やっぱりもっと早く帰ってくればよかった、ともう何度目かの後悔をする。結局二次会への誘いを断りきれなかった自分を殴ってやりたい。
 ──リヴァイさんは、どうなんだろう。
 リヴァイの後頭部を見つめながら、エレンは考える。前回のセックスからもうすぐ一週間。本当はもっともっと時間をかけて何度もしたかったが、エレンもリヴァイもまだまだ慣れていないし、平日は身体に障るだろうと遠慮しての結果だった。
 ずっとリヴァイのことが頭から離れず、ふとした瞬間にリヴァイの痴態を思い出しては赤面し、週末を指折り数えて過ごした自分と、涼しい顔で一週間を過ごしていたリヴァイが同じ熱量を抱いているとは思えなかった。やはり受け入れる側は、ただただ気持ちいいというだけでは済まないのだろう。リヴァイにすまない気持ちになりながら、今後のことを思う。明日はできるだろうか。きっとやさしい彼は、エレンのことを思って受け入れてくれるだろう。もしそうなら頑張って我慢して、できるだけあっさりと、一回で終わらせられるようにしたほうがいいのかもしれない。はぁ、とため息をこぼす。
 もう一度だけ、とエレンはリヴァイに近づいて、小さな耳にやさしくキスをした。鼻先にさらさらとした髪の毛が触れて、愛おしさに力いっぱい抱きしめたくなるのをぐっと堪える。ずっとずっと、かわいい触れたいと思っていた身体は、恋人同士になってからは以前よりずっと近いものになった。いつだって触れられるし、抱きしめられる。そしてそのことに何の理由もいらない。恋人同士になるということはそういうことだ、ということを実感した時、エレンはあまりの贅沢さに目眩を覚えるほどだった。
 ──でもやっぱり違うんだ、身体を繋げると。
 これ以上ないくらい好きだと思っていたのに、もっとずっとリヴァイが愛おしい。苦しいくらいだった。